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弁慶における虚実の間
JUGEMテーマ:歴史
春めいた陽気の中、久方ぶりに能の稽古に行った。

『橋弁慶』の鸚鵡(おうむ)返しをしてもらう。鸚鵡返しとは、師匠が一節ずつ謡ったものを真似して繰り返すこと。要するに「口伝え」である。ちょうど場面は、弁慶と牛若丸が五条の橋で決闘するところ。
あら物々しやあれ程の。小性一人をさればとて。手なみにいかでもらすべきと。長刀柄長く追つとりのべて。走りかゝつてちょうど切れば。背けて右に飛びちがふ取り直して裾をなぎ払へば。躍り上つて足もためず。宙を払へば頭を地につけ千々に戦ふ大長刀。打ち落とされて力なく。組まんとすれば切り払ふすがらんとするに便りなし。せん方なくて弁慶は。稀代なる小人かなとて。あきれ果てゝぞ立つたりける。

一般的には、道行く人々から刀を奪っていた弁慶を義経が懲らしめたのが機縁とされているけれども、この謡曲では、道行く人々を夜陰に紛れて脅かしていた「化生の者」(=実は牛若丸)を弁慶が退治しに行くということになっている。

さて、いずれが本当のことを伝えているのか。実際には、どちらとも言えぬのだ。義経に武蔵坊弁慶という従者が居たことは『吾妻鏡』にも記されているものの、その実像は全くと言ってよいほど分からない。熊野別当が貴人の姫君に産ませた子供だという生い立ちも、先に述べた五条大橋の決闘も、安宅関における名場面も、そして立ったまま討死したことも、全てフィクションかもしれぬ。

しかしながら、『義経記』を始めとする文学作品において、これらのエピソードは重要な意味を持っている。また、先に述べた『橋弁慶』や歌舞伎の『勧進帳』など、そこからインスパイアされて生まれた作品も少なくない。その上、これらの作品によって「最強の男・弁慶」というイメージが培われ、「弁慶の泣き所」という言葉さえある。

いったい、「歴史を書く」とは如何なる営為なのだろうか。歴史学も人文科学の一つである以上、史実を精確に見定めることは必須であるが、それだけではダメであろう。私としても、何か読み手の心に訴えかけるような、文学的香気の漂う歴史叙述を心がけたい。

| 雑感 | 19:10 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
興味を非常に引かれる内容ですね。義経と弁慶については
日本人なら、誰しもが興味を引かれた事が1度はあるお話ですね。
歴史における『真実』を探る・・・・・
歴史家においては、実に深遠なテーマであると推察致します
しかし、時代の権力者によって『真実』は常に捻じ曲げられるとすれば・・・・・
1度、フィクションと宣言した上で、歴史の語り部として歴史を再認識すると言う行為は如何なものでありましょうか?
考えさせられるテーマでした。
| 右田 典久 | 2010/03/07 5:34 PM |
>右田さま

コメント有難うございます。

そもそも、事物の認識には限界がありますし、普遍的な「真実」を見極めるのは難しいと云はざるを得ません。加えて、歴史を対象にする場合、「書く」という行為が有する創造的性格も考慮に入れねばなりません。

究極的には、歴史は学問的な手続きを通じて一元的な「真実」に収束するのではなく、個々人それぞれの「信実」という形をとり、そうした「信実」どうしの競争を通じて「真実」へと近づいて行くものではないでしょうか。

つまり、フィクションか否かが問題ではなく、文体を含めた叙述じたいの質が問題になってくるのだと思います。
| 金子宗徳 | 2010/03/08 11:47 AM |
金子教授!
何しろ自分は浅学菲才!
勉強になりました。
これからも、自分なりの考えを書き込みさせて戴きますが
どうか、ご指導の程、お願い申し上げます。
| 右田 典久 | 2010/03/08 12:23 PM |
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